「ついにあの!」
「いよいよ待ちに待った◯◯が!」
ツイッターやインスタ、Facebook、チラシにイベントのフライヤーなどでよく見かけます。
何も感じないのであればそれはそれでいいと思うんですが、どうしてもぼくは「そもそもあなたたちのことを知らないし、『あの!◯◯(←大抵素人のDJ)が!』とか声高に言われても何も興奮しないんだわ」なんて思ってしまうわけです。
イベントやキャンペーンをする側からすれば、何年も前から血と汗とお金と時間を流して準備してきてるわけですから、そりゃあ「いよいよ」ですし「ついに」「あの」ですよね。
しかしながら、こと集客という目線で考えた場合、そういったフレーズが何も生み出さない、むしろ反感を買ってしまうことすらすることもあり得ることを、肝に銘じておく必要があるのではないかと考えます。
ターゲットとしている人たちは基本全員外野である
イベントに足を運んで欲しい、キャンペーンの申し込みを獲得したい。その想いが溢れに溢れて上述しているようななんちゃってキラーフレーズが出てくるのかもしれません。
それが熱量の高い仕掛ける側内部で終始することであれば問題ないのですが、ターゲットとしているひとたちのほとんどが熱量の低い外野です。
この温度差を顧みることなく内輪の温度感を押し付けた広告を打ったとしても、大抵大ハズレで終わってしまう。よっぽど知名度のある有名人などの場合もちろん話は別ですが、そうでないのにそうであるよう必死で着飾った広告をよく見かけます。
あまりクールすぎても問題ありですが、温度の低いところに熱々の広告を打っても温度差で蒸発してしまうのが関の山です。
特に、意味を強制するテキスト・コピーを書く場合、内輪と外野の温度差を見極めて、言葉を絶妙にドレスダウンしてあげる必要があるでしょう。
冷静さと客観を製作段階で見誤らない為に
とはいえ、想いが強ければ強いほど、冷静さと客観を欠いた広告コピーを作ってしまいがちなのも事実です。
大事なことは、欠けやすいその要素をどのように補填するかということ。
その方法は、とても簡単すぎて腑抜けてしまうようですが、運営側と全く関係のない第三者に早い段階で評価してもらうことです。
数はなるべく多い方がいいでしょう。意見を真に受ける必要はありません。上がり過ぎた体温を下げてくれる簡易アイスノンのようなものと考えてください。
製作段階で、この客観的意見すべてに対して全く聞く耳を持たなかったり、むしろ怒り心頭してしまう場合、スーパー注意が必要です。想いと熱意のボルテージが上がり過ぎて「赤信号みんなで渡れば怖くない」状態になってしまっています。
広告は、自身の想いや熱意を表現して自己満足するツールではありません。
目的があり、その目的達成のためにロジカルに作戦を練り、何度も何度も修正を重ねて世に出して、反応を見て一喜一憂しながら反省改良し次回作を推敲して正しい成果が出てくるものです。
ぼくも特に広告コピーで思い悩んだときは積極的にみなさんに意見を賜るようにしています。
※1週間ほど前、くつ下のコピーでお世話になった皆様ありがとうございました
まとめ
内輪の熱を外部に強要されると、ぼくみたくイラっとしてしまう人も結構います。
冷静に客観的にみて、本当に「いよいよ」「待ちに待った」「ついに」を多用してしかるべきものなのか、印刷発注をかける前に、ソーシャルに拡散する前に、今一度ご検討頂けるとよりよい広告になるかもしれません。
(1429文字 執筆時間21分)